スパルタ教育・続編 (次女のフランス語教育)

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 私は決して教育ママという意識はない。周りのお母さんでもっとすごい人がいるから自分は普通に子供が有意義な学校やお稽古を通りして自分の道を切り拓いて行ってくれればいいというくらい。私を教育ママというならもっと教育ママに値する人は5万といる。

 

ただ、子供とバトルしたことが2度ほどある🥊

 

1度目は次女を英国系のインターからフランスの学校🏫(東京国際フランス学園 lycée français international de Tokyo   リセ、と呼ぶ)に編入させた時。次女はまだ10才だったので彼女の許可も得ないで勝手に入学の申し込みに行ってしまった。実は次女が3才の時にリセに入れたかったけれど当時は親がフランス語を話せないとだめ、という敷居の高い学校だった。その後、東日本大震災が起き、フランス人がごっそり本国に帰ってしまうという事態に。丁度フランスの学校も規模を大きくして移転したばかり。生徒の空きの穴埋めのつもり程度だったのだろう、フランス語力ゼロの次女を校長が親切にもうけいれてくれた😀そして親切にも特別クラスを設けてくれて個人レッスンを毎日してくれた。リセには感謝しかない😄

 

一から学ぶフランス語は次女に相当こたえたよう💦結局卒業するまで2年間在籍し、期待通りフランス語をほぼ流暢にマスターしてしまった👍

 

私にとってはまさに時の運のおかげで満足の結果✨

それでも次女はまだ恨み辛みを言ってくる😂”フランス語という単語も聞きたくない、私はママを恨んでいるから、あの時、教室に座ってた1分は私にとって1時間くらいに感じたんんだから” 確かに、学校行き始めの3ヶ月は兄弟が寝静まってから号泣していた思い出がある😭私が抱っこして大丈夫だよ。そのうち慣れるよ、と慰めても”ママはどうして私だけ憎いの?どうしてお兄ちゃんとお姉ちゃんにはそうしないで私だけ嫌いなの?”

そんな日々が数ヶ月続いた。

 

無理もない。3才から7年も一緒だった友達と別れて言葉も通じない学校に突然強制的に連れていかれるなんて地獄だったのだろう。しかも幼い頃から大人びた考え方をするフランス人の子供たちの中に入っていくのは相当なカルチャーショックだっただろうに😵

あまりにも泣くわが子を見てかわいそうだな、と何度も思った。昔の学校の親からも”かわいそうなことするよね”という噂話も聞こえてくる。

 

今現在でもあの時の話をするたびに恨んでいると言われる。あの時から私はママを恨むようになったと聞くと心が今でも痛い😢でも後悔はしていない。逆に大正解とさえ思っている💡

11才でフランスの初等科を卒業して4年が経つ。昔のイギリス系の学校に戻った次女は去年、IGCSE(英国の義務教育修了試験)のフランス語の試験✐をを人よりも3年早く特別に受験させてもらい見事A*をとった👍

そして今年の5月はフランスの大学レベルに必要なフランス語能力試験を受ける。多分受かるだろう。

ちなみにフランスの初等科を卒業してから今に至るまで4年間、週に90分フランス人の家庭教師の元で引き続きフランス語は勉強させている📖フランス語は難しい言語なのと、やばり11才でその言葉から離れてしまうと凄いスピードで忘れてしまう😌

 

恩に着せるわけではないが娘はいつか感謝してくれる時が来るのだろうと思う。

 

私の友人も40年前(その当時インターに行ける人は本当に特別だった)日本の小学校5年生の時にいきなりアメリカのインターナショナルスクールに親に入れられ当時は慣れるまで辛く、本当に辛い最初の数年を過ごし、相当親を恨んだそうだが大人になって初めて感謝できるようになったと言っていた。

次女もそんな風に他人に自分の思い出話ができる時がくるのか。

 

その時にしか出来ない教育は子供の意見は尊重しなくてもいいと思う顔。人生経験の少ない子供は理解できないこと、環境を与えるのは親の役目。

 

子供が嫌がるから、やる気を出さないから、と突っぱねてきてもすぐには諦めない。

果実を味わえるのは早くても10年後先のことだから。子供とのもう一つのバトルに関しては次回へ👋